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東京高等裁判所 昭和36年(う)1585号 判決 1965年3月15日

控訴人 原審検察官

被告人 庄司宏

弁護人 神道寛治

検察官 冨田康次

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検事正代理検事山本清二郎作成、東京高等検察庁検事高橋道玄提出の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、被告人本人提出の検察官の控訴趣意書にたいする反論と題する書面並びに弁護人神道寛次、同小沢茂と同佐藤義弥との共同および同小沢茂提出の各答弁書に記載されたとおりであるから、いずれもここにこれを引用し、これに対して当裁判所は次ぎのように判断する。

検察官の控訴趣意は、本件公訴事実は、被告人が第一、外務事務官として外務省国際協力局第一課に勤務中、東京都台東区浅草国際劇場附近において、ソ連人ラストボロフに対し、(一)昭和二八年一二月下旬頃および(二)同二九年一月上旬頃の二回に亘り、職務上知ることのできた秘密たる外務省の秘密文書各一通の写しを交付して閲覧させ、以つてその職務上知ることのできた秘密を漏らしたという国家公務員法違反の事実と第二、法定の除外事由がないのに、同年二月上旬頃、同都新宿区戸塚町三丁目一三二番地喫茶店「大都会」において、日暮信則から、対外支払手段であるアメリカ合衆国ドル紙幣二、〇〇〇ドルを取得しながら、これを法定の期間内に所定の外国為替公認銀行に売却しなかつたという外国為替及び外国貿易管理法違反の事実であるところ、原判決は、右の各事実は被告人が強くこれを否認しており、右第一事実の主たる証拠であるラストボロフの検察官長谷多郎に対する同年九月一六日附および同月一八日附の各供述調書も、その記載内容を検討すると、ラストボロフが被告人と連絡したというイ、場所、ロ、状況、ハ、長谷検事がラストボロフに被告人を識別させるために使つたという被告人の写真、ニ、ラストボロフが被告人の筆跡を間違いなく確認できたか否か、ホ、ラストボロフと被告人との間になされたという報酬その他の金員の授受およびラストボロフの供述を価値づける条件という諸点で、疑問があつて、その証明力が十分でなく、また第二事実の主たる証拠である日暮信則の同検察官に対する同年八月二四日附、同月二五日附、同月二六日附同月二七日附および同月二八日附の各供述調書も、その記載内容を検討すると、イ、日暮信則が未だ嫌疑すらかかつていない自らの税法違反の事実を進んで供述していること、ロ、同人の米ドル二、〇〇〇ドルが授受された事情ないし経緯についての供述およびハ、同人の供述を価値づける条件といつた諸点で疑問があつて、その証明力が十分でなく、結局、本件各公訴事実については、これを認むるに足りる証拠がなく、犯罪の証明が十分でないとして、被告人に対し無罪の言渡しをしたが、本件捜査の端緒はラストボロフの手記の記載にあるところ、同人の前記各供述調書は、多くの証拠によつてその記載内容が裏付けられており、その証明力は十分であるのに、原判決が前記のような五点を捉えて、直ちにその証明力を全面的に否定したのは、明らかに証拠の判断を誤つたものであり、また、日暮信則の前記各供述調書は、その取調べの経過、同人の人物、内容が具体的であること、その内容は多くの証拠によつて裏付けられており、これに対しては何らの反証もないことより考えて、その証明力は十分であるのに、原判決が前記のような三点を捉えて、直ちにその証明力を全面的に否定し去つたのは、明らかに証拠の判断を誤つたものであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな重大な事実の誤認があるというにあり、これに対する被告人本人および弁護人らの答弁は、本件ラストボロフ調書は、検事長谷多郎が国外たるアメリカで、同国にいるラストボロフを取り調べた時の調書であり、また同人の署名があるともいえないから、刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の検察官面前調書に当らず、また当時ラストボロフはアメリカの官憲により日本からアメリカへ拉致され、その支配下にあつたものであるから、かかる状態の下においてなされた同人の供述に任意性があろう筈はなく、右供述調書はいずれも証拠能力がないのはもとより、その内容も虚偽且つ架空のものであつて、真実性のないものであるから、原判決がこれを検討したうえ、少くとも右各供述調書の証明力に疑いを持つたのは当然であり、また、本件日暮調書は、検察官の所論とは全く逆に、その取調べの経過、その人物の点からいつて信用できないばかりでなく、その内容も虚構であつて、これを裏付けるに足る証拠は何もないから、原判決がこれを検討したうえ、その証明力を否定したのは相当であつて、検察官の論旨はすべて理由がないというに帰する。

そこで、記録並びに原審で取り調べた諸証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、以下にその当否を検討審究する。

一、序論

(一)  本件ラストボロフ調書および日暮調書の重要性

本件捜査の端緒が何にあつたかは暫らく措き、本件公訴事実中、被告人の身分および職務に関する事実は、外務大臣官房人事課長日向精蔵の作成にかかる職員の身分その他に関する件(回答)と題する書面並びに被告人の検察官に対する昭和二九年八月一六日附および同月二五日附の各供述調書によつて明らかであるが、第一の(一)および(二)の国家公務員法第一〇〇条第一項違反の事実と第二の外国為替及び外国貿易管理法第二一条・外国為替管理令第三条違反の事実自体は、被告人が捜査の段階以来第一審を経て当審に至るまで終始固くこれを否認しており、全証拠を検討すると、右の国家公務員法違反の点については原審第二四回公判で刑事訴訟法第三二一条第一項第二号により証拠として取り調べられたラストボロフの検事長谷多郎に対する同年九月一六日附および同月一八日附の各供述調書(以下これをラストボロフ調書と総称、または順次ラ調書(1) および同(2) と略称する。)、外国為替および外国貿易管理法違反の点については、同第一三回公判において同右の規定により証拠として取り調べられた日暮信則の同検事に対する同年八月二四日附、同月二五日附、同月二六日附、同月二七日附および同月二八日附の各供述調書(前同様、以下これを日暮調書と総称、または順次日調書(1) ・同(2) ・同(3) ・同(4) および同(5) と略称する。)が、それぞれ、その主たる証拠であつて(尤も、当審では、更らに、第八回公判において、甲、ラストボロフの同検事に対する同年九月一八日附供述調書並びに、乙、日暮信則の司法警察員警部補大塚忠男に対するイ、同年八月一四日附、ロ、同月一五日附およびハ、同日附の各供述調書と同検事に対するニ、同月一六日附、ホ、同月二六日附およびへ、同月二七日附の各供述調書とが証拠として取り調べられているが、右甲並びに乙のイ、ロおよびハはいずれも、刑事訴訟法第三二八条により取り調べられた証拠であるから、本件公訴事実を認定する証拠とはなし難く、また、同ニ、ホおよびへは、同法第三二一条第一項第二号によつて取り調べられた証拠ではあるが、本件公訴事実に関する限り、直接の証拠たるべきものではない。)、他に有力な証拠は何もないから、被告人を有罪とするか否かは、一にこれらの各供述調書をいかに判断するかにかかつているものということができる。その意味で、前記ラストボロフ調書および日暮調書は極めて重要である。

(二)  供述調書における証拠能力と証明力の問題

原判決は、本件ラストボロフ調書と日暮調書の証拠能力はこれを認め、唯その証明力を否定したに止まるから、論旨は、その証明力を力説するのに終始して、その証拠能力については何ら言及するところがないが、証拠能力と証明力の問題は、元来別個のことがらであるとはいえ、両者は相関連するものであり、証明力は証拠能力を前提とし、証拠能力の問題は証明力の問題に先行するものであつて、答弁もまた、第一審に引き続き、右ラストボロフ調書と日暮調書の証拠能力の点につき、強い反論を展開しているので、当裁判所においても、ここに、その証拠能力についての一応の判断は、これを示す必要があるものと認める。

二、本論

(一)  ラストボロフ調書について。

1  その作成経過、形式および内容

(1)  作成経過

ラ調書(1) および同(2) は、これを原審第八回ないし第一〇回公判調書中の証人長谷多郎の供述記載(以下長谷証言と略称する。)と対照して考察すれば、いずれも、ラストボロフが東京地方検察庁検事長谷多郎に対しアメリカ合衆国ヴアージニア州アレクサンドリア・マウントヴアーノン通所在のハンテングタワーズアバートメント四〇八号室で昭和二九年九月一六日と同月一八日に各供述した内容を録取した書面であることが明らかである。そこで、その作成の経過につき案ずると、昭和二九年(一九五四年)一月二七日附アリソン大使発外務大臣宛書簡、同月二八日附外務省発米国大使館宛覚書、同年二月二日附アリソン大使発外務大臣宛書簡、長谷証言、原審における鑑定人平野龍一および同伊藤正己の各鑑定書、原審第一二回公判調書中の証人関守三郎の供述記載に在米日本国大使館参事官安川壮の回答書を綜合すれば、長谷検事が米国内でラストボロフを取り調べる意向を表明するに至つたのは、いわゆるラストボロフ事件についての日本官憲のinquiry (調査・訊問ないし事実の調査一般を意味する。)とこれに対するアメリカ大使館の協力に関する前記書簡および覚書等の外交往復文書の存在に端を発したものであるところ、その後、法務省は、長谷検事の右発意に基づき、昭和二九年八月下旬外務省に対し、ラストボロフを取り調べるため、東京地方検察庁長谷検事を法務省刑事局桃沢公安課長と共に渡米させたいので、米国政府の同意取りつけ方を要請したところ、当時外務省国際協力局第三課長の職にあつた安川壮は、在日米国大使館担当官に右の趣旨を伝え、米国政府の同意方を要請した結果、同年九月上旬右担当官より、米国政府は右両名が渡米し、ラストボロフを取り調べることに同意する旨の回答があつたので、これを法務省に伝達し、右両名は通常の手続に従い米国政府の入国査証を受けて渡米し、長谷検事は米国側の協力を得て、前記の如き日時場所においてラストボロフを取り調べたうえ、その調書を作成したことが窺われる。

(2)  その形式

ラ調書(1) および同(2) は、いずれも、和文のものと英文のものとより成つているところ(なお、ラ調書(2) には、和文のものと英文のものとの間に英文の陳述書が挿入してあり、この陳述書には、東京地方検察庁検察事務官通訳有元芳之祐の訳文がある。)、和文には通訳在アメリカ合衆国日本大使館二等書記官須磨未千秋の署名押印と東京地方検察庁検事長谷多郎の署名押印があり、英文のものには各葉にラストボロフ(Rastvorov )なる署名またはその頭文字アール(R) の記載があつて、和文のものと英文のものとを通じ長谷検事の契印がなされており、長谷証言によると、右ラ調書(1) および同(2) の各和文は、長谷検事がラストボロフの英語による供述を通訳人須磨未千秋を介し日本語に通訳録取して作成したものであるが、同検事はこれを更らに同通訳人をして英文に翻訳させた文書を併せて作成せしめたうえ、これを同通訳人をしてラストボロフに読み聞かせて閲覧させたところ、同人は和文のものはよく読めないが、翻訳たる英文のものの内容は自分の供述どおりに相違ない旨を申し立て、和文のものには署名せず、その翻訳たる英文のものに署名したものであることが窺われる。

(3)  その内容

ラ調書(1) は、ラストボロフが本件公訴事実第一の(一)および(二)記載の日時場所で被告人から同記載の秘密文書各一通の写しの交付を受けたという内容のものであり、同(2) は、ラストボロフが被告人や日暮信則らの日本人を手先きに使つて、ソ連のために諜報活動をしたことを内容とするものである。

2  その証拠能力

ラストボロフ調書の作成経過およびその形式は既に述べたとおりであり、長谷証言および原審第一二回公判調書中の証人関守三郎の供述記載によれば、長谷検事がラストボロフを取り調べた際、桃沢課長および須磨通訳人のほかは他に同室した者はなく、もちろん監視等もいないところで、極めて平穏裡に取調べが続けられ、その間少しも本人の自由を束縛したり、強制や拷問或るいは脅迫に亘るようなことのなかつたことが窺われ、また、ラストボロフがその後も米国から退去せず、証人として原審公判に出頭することのできなかつたことは、昭和三三年(一九五八年)九月五日附米国大使館発の文書、同翻訳文および昭和三四年六月二五日附法務省入国管理局登録管理官室作成にかかる外国人出入国記録調査書によつて明らかであるから、右調書は刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の書面として、同規定により証拠能力があるものといわざるを得ない。弁護人らは、これに証拠能力がない旨論難するけれども、当裁判所は俄にこれに同調し難く、この点に関する原判断は相当であつて、右非難は当らない。

3  その証明力

(1)  憲法第三七条第二項は、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。」と規定し、被告人の証人尋問権を保障している。本件は諜報活動を繞る国家公務員法違反と外国為替及び外国貿易管理法違反の事件であつて、国民として将たまた国家公務員として最も恥ずべき犯罪であるが、かかる事件だからといつて、その被告人が不当にこの証人尋問権を奪われてもよいという理由はない。これが憲法第一四条第一項の規定する「法の下に平等」の理念である。

本件につきこれをみるに、既に述べたとおり、ラストボロフは本件国家公務員法違反の事実についての唯一且つ最も重要な証人である。検察官が、被告人の起訴を目前にして、わざわざ米国に赴き、親しくその供述を求めた理由もまたそこにあつた筈である。ラストボロフが日本からいなくなつた理由が拉致であつたか、脱出であつたかは別とし(庇匿権<Asylrecht >ということがあり、「窮鳥懐ろに入れば猟師も殺さず」というから、ラストボロフの失踪が拉致か脱出かは、同人が窮鳥であつたか否かにかかつている。)、同人が日本におらず、米国にあつて、原審で公判に証人として出頭できなかつたことは、既に述べたとおりである。

成る程、刑事訴訟法第三二一条第一項第二号本文は、検察官の面前における供述を録取した書面は、その供述者が国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないときは、これを証拠とすることができる旨を規定しており、ラ調書(1) および同(2) が一応これに当ることは既に述べたとおりである。尤も、同号には、「但し、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る。」との制限がついているところ、本件ラストボロフの場合の如く、同人が国外において公判準備若しくは公判期日において供述することができない場合は、公判準備又は公判期日における供述なるものは存しないわけであるから、右但書は、同号本文後段の場合にのみ適用があり、本文前段の供述者が国外にいるため、公判準備若しくは公判期日において供述することができないときには、その適用がないものと解せざるを得ない。しかし、同但書を含む同号本文後段の精神は、右本文前段の場合における供述調書の証明力を判断するに当つては、強く働くべきものと考える。すなわち、公判準備又は公判期日における供述より前の供述を信用すべき特別の情況の存することの制約の下に、公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか、若しくは実質的に異つた供述をした場合、特に検察官の面前における供述調書に法が証拠能力を認めたのは、ひつきよう、その供述調書に強力且つ十分な証明力を認むべきことを考慮に容れた上での立法措置であることに想いを到せば、本文前段の場合にも、これと同様に、当該検察官の面前における供述調書が強力且つ十分な証明力を有すること、換言すれば、若し供述者が公判準備若しくは公判期日において供述することができた場合、いかなる反対尋問にも耐え、検察官の面前におけると同趣旨の供述を得ることが期待されること、つまりその供述内容に真実性の存することが必要であると解すべきである。

以上のような見地に立つて、ラストボロフ調書を見ると、ラストボロフの国籍、出生地、氏名および出生の年月日については、その記載があるが、ラ調書(1) 冒頭の第一項には、「私は現在の住居と職業とを言う訳には行かないが、それは身体の安全を守るためであつて他意はない。」との記載がある。これは見逃すことのできない供述であつて、ラストボロフは、長谷検事から取調べを受た際、既に証人として出頭することひいては反対尋問を受けることを拒絶する意思であつたと解するのほかはない。そのような意思の下になされた供述は、甚だ無責任な供述ともいえるわけであつて、これに強力且つ十分な証明力があろうとは、到底考えられない。ラストボロフの供述は反対尋問に耐えないようなものを含んでいるのではないかとの疑問を払拭できない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 松本勝夫 判事 龍岡資久 判事 横田安弘)

弁護人神道寛治提出の答弁書第一

第一点ラストボロフ調査は刑訴第三二一条第一項第二号にいわゆる検察官面前調書に該当しない。

(証拠能力がない)

一、検察官と検事の差異

検察官は刑訴法其の他法律に基づき検察権を行使する権限を持つ官庁である。

検事は自然人たる個人の一身専属の資格(身分)である。

このことは検察庁法第三条に『検察官は検事総長、次長検事、検事長、検事及び副検事とする』と及び同法第四条に徴するも明白である。

之を本件について見れば長谷多郎氏は個人としては日本国の検事たる資格を有し検察官としては検察庁法第五条に基づき東京地方検察庁に属し其の職務を執行している。

此の場合長谷多郎氏が日本の国内に在ると国外に在るとを問わず日本国の検事たる身分資格に変りはない。然し検察官として其の職務を行使するについては日本の刑訴法が施行適用されている地域に限定される。何となれば刑訴法有つての検察官であり、刑訴法を離れて検察官は在存しない。之れに反し他面、検事たる身分は刑訴法を離れても存在し得る。

二、わが国の検事は刑事訴訟法の施行されていない国外で検察官としての職務を行うことはできないのであつて検察庁法第六条の規定は検察官はわが国の内外を問わずどこに於ても捜査することを認めた規定ではなく、刑訴法第百九十五条、第七十一条、第百三十六条、第百五十三条も、検察官がわが国の刑訴法の及ばない外国に於てもその職務を行うことができる旨をあらわした規定でないのみならず日米両国間に締結された日米犯罪人引渡条約と国内法として制定された逃亡犯罪人引渡法が存在することは国外に於てわが捜査権を行使することができないことを裏づける根拠になつているから長谷検事が検察官として米国に於て作成した供述調書は検察官面前調書にあたらない。換言すれば証拠能力が認められない旨は第一審以来弁護人の主張し来つたところであり、此の点は原判決も亦肯定している。

三、然しながら原判決は検察官と検事とを混同して『本件においては検察官の身分を有する長谷多郎が米国内においてラストボロフの供述を聞きこれを録取した行為は検察官の職務執行、行為としてこれを是認することができるかどうかを判定しなければラストボロフ調書(1) (2) の証拠能力を判断することはできない』

(判決文四丁表)と述べている。

原判決が『検察官の身分を有する長谷多郎』と摘示したこと自体は即ち検察官は刑訴法の下で国家の検察権を行使する官庁であつて長谷多郎個人の身分ではない。長谷氏の身分は日本国の検事である。

従つて検事の身分を有する人が第三者から聞取つて供述調書を作つても、その聞取書が刑訴法の適用の下で作成されたものでなければ検察官面前調書とはならない。況んや刑訴法第三二一条第一項第二号調書には該当しない。

四、日本国の検事たる身分を有する長谷多郎が検察官面前調書を作るためには、検事長谷多郎が検察官長谷多郎に変化しなければならない。検事が検察官に変化するためには日本刑訴の適用が必須条件である換言すれば日本の長谷検事が長谷検察官として、米国に於て検察官調書を作成するためにはその時その場所に日本の刑事訴訟法が施行されていなければ不可能である。

米国ヴアージニア州アレクサンドリヤマウントヴアーノン通所在のハンテイング、タワーズアパートメントに日本の刑事訴訟法が施行されて居なかつたことは多言を要しない。

従つてこの場合此の場所で作成されたラストボロフ調書(1) (2) は何れも一市民たる日本人長谷検事の作成した聞取書に過ぎない。これを検察官面前調査と云うには論理の飛躍があり連鎖が切断されている。

五、此の点原判決は『わが検察官が任意捜査として米国内に於て人を取調べるためには米国の承認を得る必要があるがその承認を得ればその承認せられた限度において、わが刑事訴訟法の規定に準拠して人を取り調べその供述を録取することができると解するのが相当である。

またこの場合米国の承認は事柄の性質上米国政府又は駐日米国大使が米国を代表してわが駐米大使又はわが政府に対してなされればそれで十分であると解するのが相当である。』と判示し前記論理の飛躍、連鎖の切断を埋め合せようとしている。

六、然しながら原判決の所謂米国政府の承諾とは其の時其の場所に日本の刑訴法を発効実施せしむることの承諾でなければ検察官調書は作成し得ない。原判決は果して本件につき右の如き程度の承諾を得たと認めるであろうか、此の点につき原判決は『(1) 昭和二十九年一月二十七日附アリソン大使発外務大臣宛書簡(2) 同月二十八日附外務省発米国大使館宛覚書及び(3) 同年二月二日附アリソン大使発外務大臣宛書簡に端を発し云々(原判決五丁表)とあり、右外交往復文書、就中『インクワイアリ』の語義について鑑定等を為したが結局『これらの外交文書の往復された当時においては米国が日本官吏のラストボロフ事件についての任意捜査を承認したものと認め難い』と判示している。

しかし結局長谷証言第十二回公判調書中証人関守三郎の供述記載及び在米日本国大使館参事官安川壮作成の回答書等により米国政府がラストボロフ取調のため長谷検事及び法務省刑事局桃沢公安課長の渡米を承諾同意する旨の回答が同年九月上旬あつたこと、及び長谷検事が渡米後前記日時場所に於てラストボロフ取調べに当り米国側の協力を得た等の事実を認定し、以て国際法上適法に検察官の職務執行を遂げ検察官面前調書を作成したものであると認定し(原判決六丁表及び裏)以てラストボロフ調書(1) (2) の証拠能力を認めた。

七、然しながら原判決の前記認定は極めてずさんであり適法な承諾を得た証明がない。

(1) 原判決の前段認定の如くアリソン大使と日本外務大臣との公式往復文書に於てすら任意捜査を承認したと認め難いことが後段の如き証言と二人の日本官吏の渡米入国査証を受けた事実等によつて刑事訴訟法に基づく任意捜査の発効発動を承認したと認定するのは早計である。

(2)法例第三条によれば『人の能力は其の本国法に依りて之を定む』とあるが本件ラストボロフの本国は此の場合何国であつて其の本国法によれば果して証人能力があつたか否か?又法例第二十七条第三項に依れば『地方により法律を異にする国の人民については其の者の属する地方の法律による』とあるが此の場合ラストボロフについては如何。又米国政府より任意捜査の同意承認を得たと云うが米国ヴアージニア州の法律に照らして米国政府の前記承認は合憲合法なりや否や

(その余の答弁理由は省略する。)

弁護人小沢茂および同佐藤義弥連名提出の答弁書

第一点、原判決(一)のラス調書が、所謂検察官面前調書にあたるかどうかについて、

原判決は、刑事訴訟法が、原則として、属地主義の立場に立ち、外国の領土に於て、ほしいままに、捜査を行うことはできない立前であることは認め、弁護人の主張を是認している。しかし、米国の承認を得れば、その承認された限度において、わが刑事訴訟法の規定に準拠して人を取り調べ、その供述を録取することができると解するのが相当であると判断し、ただちに米国政府の承認があつたかどうかの究明をしている。而して、原審で証拠調べされた外交往復文書を検討した結果として「これらの外交文書の往復された当時に於ては、米国が日本官吏のラストボロフ事件についての任意捜査を承認したと認めがたい」と判断して、弁護人の主張をいれているようであるが、長谷証言、関証言、安川の回答書により(米国の)「担当官から米国政府は、右両名(長谷、桃沢をさす)が渡米してラスを取り調べることに同意する旨の回答があり「長谷が現実に「ラスを取り調べるにあたり、米国側の協力を得たことを認めることができる」とし、ただちに」長谷検察官が国際法上適法に任意捜査として、米国内に於てラスを取り調べるについて、米国の承認があつたものと解するに十分である」と結論づけている。

一、アメリカの同意が、日本の刑事訴訟法の権限の行使として長谷検事の職務行為を許したものであろうか、

1 アメリカに於ては、検察官の面前調書に証拠能力を付与する旨の伝聞法則の例外規定はない。従つて、アメリカで検察官が、参考人を取り調べるのは、事実の調査、及び公判廷での尋問の準備以外の何ものでもないのである。

勿論、本件長谷検事のラスと云われる人物の取り調べをすることに、アメリカ政府の係官が承諾をしていたことや取り調べについて、協力をしたと云うことは、弁護人としても、敢て争そう積りはない。しかしその承諾は、日本の刑事訴訟法の権限の行使として、長谷検事の職務行為を承認したものとはただちになり得ないのではないか、そこに問題がある。

2 アメリカに於ける検察官の参考人に対する取り調べの法律上の意味は、前述の通りで、その調書に証拠能力を与える立前は存在しないのであるから、事実の調査と云う意味を有するにすぎず、(公判に於ける証人尋問の準備と云うことは、本件の場合には、予想されていないことなので、考慮外におくこととする)云わば、情報を集めると云う趣旨の事実行為であるにすぎないのである。それらの集めた情報を公判廷で立証すると云う意味での訴訟法上の意味、役割は何もない。

従つて、アメリカの官憲の長谷検事の取り調べの承認や、それに対する援助も、右の事実行為の承認、援助の範囲を出るものでなく、この範囲では、前記の大使館と、外務省間の交換文の趣旨の範囲を一歩も出ていない。ただ調査をする者が、長谷検事であると云うにすぎないのである。だから係官(その氏名はわからない)が簡単に同意したり等しているのである。右の係官の承諾をもつて法律上、長谷検察官の職務行為を、アメリカ政府が承諾したものと簡単に結論することはできない。

二、あるいは、長谷検事の事実行為としての取調べが、アメリカ政府の係官によつて承認され、事実行為として取り調べがなされ、長谷検事が、職務行為としてなす意思で取り調べをした以上、日本の刑訴法は、これに証拠能力を付与するものと解すべきであると云う見解があるかもしれぬ。しかしそれは、あやまりである。検察官面前調書に証拠能力を付与する所以のものは、原判決は「検察官が、裁判官に準じた資格で任用され、適正な取り調べを行うことが期待される点にある」と云うのである。その趣旨を更に深く考えれば、日本の憲法下に於て、日本の主権の及ぶ所「何人も」憲法第三十一条、三十二条、三十三条、三十四条、三十五条、三十六条、三十八条、三十九条、四十条の人権の保障をうけており、これを受けた諸法律があるのである。従つて検察官が、その職務を行うにあたつては、右諸規定によつて、関係者の人権を保障した趣旨に従つて、職務を行うことが期待され、関係者の方でも検察官の取り調べに於ては、日本国憲法の保障のもとにあるという安心のもとに供述できる。かかるが故に検察官調書に証拠能力を与えたものと云わねばならない。だからラスの調書に、単なる事実上の取り調べの結果たる書面としての意味の他に、日本の刑訴法に基づき、第三二一条一項二号の証拠能力があると云うためには、参考人たるラスが日本国憲法の人権保障下に入ることが必要であると云わねばならない。これはアメリカの政府の主権の範囲内にあるラスを日本の主権のもとにおくことを意味し、アメリカ政府の主権の一部制限であつて、到底アメリカ大使館と日本外務省との間の交換公文にあるような、調査の承認と云つた趣旨の事実行為の承諾という種類のものではないのである。アメリカの係官の同意とか、協力とか原判決ののべているものも到底かかる意味をもち得るものでないことも云うまでもない。長谷検事がアメリカに於て検察官として職務を行うについても、アメリカ政府の同意がまだなされていないと云う所以である。

三、あるいは、アメリカの国家は、日本におとらない民主的な憲法下にあるのであるから、ラスはアメリカの主権内にあつても、日本の憲法下の保障にあると同程度の保障があると見てもよいではないかと云う議論をなす考えもあるかもしれぬが、それは、政治的論議である。ソヴイエト、中国の例をとつて対比した場合に、とどまる所を知らない「民主主義論議」にまきこむことになるのである。それのみならず、後述する様に、本件の発端のラスの出国手続きが、アメリカ政府の手によつて、日本の国法を破つて、なされた事を考慮すれば、その様な論議はなりたたないことが明らかであろう。

又ラスを日本の憲法の保障のもとにおくと云うことの具体的行為が何を指すかわからない。長谷検事の取り調べの程度で、日本の憲法の保障下においたことになると云う議論もあるかもしれぬ、しかし、ラスの日本よりの出国手続きのことを考慮すれば、ラスは少くとも、治外法権たる日本大使館で取り調べがなされ、ラスはしばらく日本大使館での生活が許され、その生活環境の中で、アメリカ政府よりの出国の自由が保障され、その希望するところどこにでも行き得る体制のもとで取り調べがなされなければ、日本憲法下の保障のもとにおける取り調べとは云い得ないと解されなければならない。

四、以上の次第で、アメリカ政府の承諾と云うものは、長谷検事がラスを調べると云う事実行為についての承諾以外の何ものでもなく、右調べは、調書に証拠能力を与えるべき前提要件、即ち、日本国憲法下の保障と云う要件がみたされていないのでラス調書には、検察官調書として証拠能力はないものである。

第三点、原判決(四)の供述者が国外にいるため、公判期日に於て供述することができない場合にあたるかどうか及び(五)任意性について、に関する判旨に対する主張

弁護人としては、本件の特殊性にかんがみ、ラスの参考人たる地位について疑念を表明せざるを得ないのである。

即ち、ラスの出国手続きは、昭和二九年一月二七日附、アリソン大使より岡崎外務大臣宛書簡、同月二八日附、外務省発、米大使館宛書簡、同年二月二日附アリソン大使より岡崎外務大臣宛書簡によれば明らかに「出国手続きにおいて若干の違法性の存在したこと」は否定し得べくもない。アリソン大使は、この違法性は「ラスの衷心からの願いを考慮したことから発生した」かの如き弁解をしているが、何れにせよ、ラスの出国手続きが違法であり、アメリカ政府が云わば、その共犯者の立場にあることは理論的に云つて、否定し得ないことである。本人が衷心よりそれを希望すれば、出国手続きに関する法律を破つて宜しいと云うことはない筈であり、アメリカ大使館も「衷心よりの希望」がある者に付いては、すべて日本の法律を破つて出国させてやると云つた性質のものではないであろう。此所に本件の特異性が先づ集中的に現われている。此所から出る結論は、先づアメリカ政府は、日本の法律を破つて、違法にラスを国外につれ出し、自分の主権のあるアメリカに連れて行つたことである。次にアメリカの主権のある米領土内に於て、ラスは全く政府と関係のない生活をしているのではなくて、引続いて、政府の管理下にあると云うことである。これは長谷検事がラスを取り調べる作業をなすに至つた経緯を長谷証言によつて検討してみれば、自明と云えるであろう。

従つて、日本の法律に照らすと、米政府の手によつて、違法に出国し、そのまま米政府の管理下にあるのであるから、出国手続きの違法性はそのまま治癒することなく、引き続いているものと解すべく、ラスは、違法に管理されている証拠方法と云うことができるであろう。しかも長谷検事は、ラスを取り調べるにあたつては、その違法性にメスをいれて、これを解明し、出国の際の心境、米政府に依頼した趣旨、一月当時存在していた彼の八才になる娘に関する心配が、八月十三日に、記者会見を行なつて、亡命を公表した際は、どの様に解消したのか、現在の職業、生活費の出どころ、アメリカ政府との関係等について、十分に事実を聴取して、出国手続きの違法について、酌量すべき点の有無を調べ、起訴猶予が相当ならば、その処分が出来る程度に事実を明確にすべきものである。亦米国政府の同人に対する影響力の有無、違法な出国手続きをなすにあたつて、アメリカの官憲が関与した程度及び内容を明らかにし、違法に管理された状態が解消したかどうかを明確にすべきものである。所が長谷検事は、これを怠つて、その様な努力を何もしていない。むしろその様な点について、触れることを禁止されていた疑いすらある。

従つて違法性が治癒された証拠が皆無である以上、ラスは本件取り調べの時に於て、尚「違法に管理された証拠方法」と解する他はないのである。このことが、ラスの調書の証拠能力について各方面の観点より影響を与えるのである。

一、違法証拠である点について。

昭和二四年一二月一三日最高第三小法廷(昭和二四年(れ)第二三六六号事件)によれば「たとえ押収手続きに所論の様な違法があつたとしても押収物件につき、公判廷において適法の証拠調がなされてある以上、これによつて事実の認定をした原審の措置を違法とすることはできない。

押収物は、押収手続きが違法であつても、物それ自体の性質形状に変更を来す筈がないからその形状等に関する価値に変りはない。それ故裁判所の自由心証によつてこれを罪証に供すると否とはその専権に属する。論旨では、訊問調書作成手続きが違法である場合は、その調書の証拠能力なしとする理論を採用して、押収手続きに違法ある場合の押収物件の証拠能力を否定しようとするけれども、それとこれとは事情の性質が違う。訊問調書は、供述を記載するのであり、供述は訊問手続きによつて導き出されるのであるから、訊問手続きの違法は、供述の内容に影響を及ぼす虞があり、調書作成手続きの如何により、記載された内容の真価(供述された通り記載されたか否かについても)について疑惑が生ずる虞がないでもない。しかし押収物の場合には、押収手続きに所論のような過誤があつたとしても、それにより物自体の形状性質等に何等影響を及ぼす虞れはないからである。従つて論旨は採用しがたい。」と判示している。これに対して、団藤教授編新法律学演習講座刑事訴訟法二六九頁で「なるほど、押収手続きの違法は黙秘権を侵害して得られた供述とは異つて証拠の内容に影響を及ぼすおそれはなく、従つて押収にかかる証拠物は立派に証明力を備えているものであることは判旨の示す通りである。しかし問題は証明力の有無にあるのではなく、違法に押収された証拠物を罪証に供する事の是非にある。かかる証拠物を証拠として利用することは、適正手続きの原則によつて、保障された被告人の権利を侵害する事により、従つてこの限度に於て実体的真実発見主義は後退を余儀なくされるのではないかと云う問題である。」と論じている。しかし本件の場合は、証拠物ではなくて、訊問調書である。供述者が違法に管理されている場合(これは日本の主権の範囲内のことであれば、ただちに日本の法律にてらして違法性は除去される筈であるから、本件のような場合であれば、こそ生ずるものと云えよう)である。かかる場合は、右判決にものべている通り、右違法は供述の内容に影響を与えるおそれが十分あるのであるから、右判決の趣旨に従つても違法な証拠として、証拠能力を附与できない場合にあたるものと解すべきである。違法な証拠と云うのは調書の場合には、訊問調書作成手続きが違法である場合が普通であろう。しかし本件の様に、供述者自体が違法に管理されておる場合も同じく違法な証拠と云い得るものと解すべきである。実体的真実が、あやまられる危険性は同じであるし、又適正手続きによつて保障された刑事被告人の権利を侵略することになることも同じであるからである。又違法に出国したラスに対し、日本政府は、犯罪人引渡条約により、日本への引渡しを求め得るに拘らず敢て右の様な現状回復措置をとらずに、アメリカ国内に検事を派して、これを取り調べると云うが如き、便宜的手段を採り、その犠牲の負担を刑事被告人に一方的に課すると云うが如き不正義を容認できないと云う見地より見ても、捜査官が自ら調書作成手続きに於て違法を行つた場合と何ら区別する理由がない。要するにラス調書は違法証拠であると云う点に於て証拠能力はないのである。

二、公判期日に出頭できない場合にあたるかどうかの問題について。この点に於ても、弁護人は違法に公判期日に出頭できない場合で、通常の場合と全く異なるものであることを主張するものである。即ち参考人の取り調べの際に、既に公判廷に於て、証人調べをすることを全然予想できない状態で取り調べを行い、現実に公判期日に出頭できない場合にも、二つの種類がある。即ち、その一つは原判決も指摘している通り、供述者が重病で死期の近づいた場合や、供述者が供述直後適法に国外に移住することが明らかな場合である。これは公判廷に出頭できない事情が非難し得るものではなく、何らの違法性もない場合であつて、この場合には、その調書に証拠能力があることについては、特に異存はない。しかしこの場合でも、供述者が、公判廷の証言を免れるために国外に移住すると云うのであれば、云わば脱法行為であつて、その調書に証拠能力を附与すべきでないと考える。

その二は、本件の様に、供述者が、供述前に違法に日本国外に脱出し、その状態を持続して、日本の法廷への出頭をこばんでいる場合である。これは、公判廷に出頭できないという状態が違法であり、この違法状態はラスらによつて故意につくり出されたと云うことである。この様な場合には、その違法性、作為性について、日本の刑訴法が、これを認容して、その調書を、日本国民を処罪するために使用することは、到底適法であると云うことはできない。かかる場合は、供述者が国外にいて公判廷に出頭することができないことがそもそも違法につくり出されたのであるから、法三二一条一項二号に云う、国外にいるため公判期日に於て、供述することができない場合にあたらないと解すべきである。

三、任意性がない。

長谷検事がラスを取り調べた際に、強制拷問、脅迫があつたと主張しているものではない。しかしラスが前記の通り、違法に管理されていると云う状態に於ては、その任意性に疑いがあるものと云うべきである。例をあげれば、彼はアメリカの政府の管理のもとにある限り、その利益に反する言動はできない。広い柵の中では自由にふるまえるが、柵をこえることができない。従つて柵の中で、自由にふるまい又その中で任意に取り調べた外観を呈しているが、しかし柵の中にある限り、任意の供述であると云うことはできないのである。而して、既にのべた通り、その出国の手続き、その後の経過より見て、柵の存在は十分これを認めるに足るのであるから、長谷検事の取り調べに於て、ラスが柵即ちアメリカ政府の拘束より自由であることを十分客観的に明らかにして調書にとどめていないのであるから、ラスの供述の任意性については十分な疑念があるものと云わねばならぬ。

(その余の答弁理由は省略する。)

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